2006年03月26日
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(台湾:3) 淡水の思い出(2)
父が単身で淡水の教師になった頃、母は淡水の公会堂の管理を委託されていた祖母とそこに住んでいた。
徳山の高等女学校から台北第一高等女学校に転校し、そこを卒業していた。
写真はすぐ傍の英国領事館前の芝生で友人と撮ったスナップである。
向かって左が母である。
背後に見える煉瓦のアーチの並ぶ領事館の建物は今もそのまま残っており、紅毛城の入園券で領事館の庭も当時のまま展示されている建家の中も自由に見学できる。
下の写真が現状の領事館である。
今は赤煉瓦の前の舗装や生け垣が変わっているくらいで庭園は殆どその当時のままである。
建物の前を通り奥まで行くとそこからダラダラと下がる石段や植え込みは当時を思い起こさせてくれる。
公会堂の建物は終戦時に蒋介石政権に接収されて数十年放置されて廃墟のようになっていたが今は本館も洋館も撤去されて跡形もない。
近くの街長官舎や河岸の台湾銀行淡水支店長宅はいまもそのまま取り残されている。
台湾の民家は土間で、椅子と卓があり脚のついた木製の寝台で寝る。
日本家屋のように縁側や畳の部屋はない。
終戦後日本人が引き揚げたあとも花蓮などには畳屋があると聞いた。
台湾の人達も日本人の残した良いものは生活に採り入れているようである。
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