2006年03月24日

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(台湾:2) 淡水の思い出(1)

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別稿で父の任地の台湾・淡水で生まれたことを書いた。

父は昭和12年に渡台し当時の国民学校、公学校の教師(当時の職名:訓導)をしていた。

師範学校を出て昭和5年春佐賀県の郷里で短期間教職に就いたあと単身台湾に出たようである。

当時台湾には日本人の学ぶ男子校と女子校のほかに現地人(本島人)のための公学校があった。

昭和19年に、李登輝元総統の出身地の三芝の公学校で教頭になり、その後応召し台南の部隊に入営した。

三芝は長閑な田園地帯で、季節にはホタルが乱舞する田圃の向こうにはザボンの皮を砂糖漬けにする蜜煎工場があった。

教師や勤め人など普通の日本人の家には現地人のお手伝いさんやアンクルトムの様な老人が通いで来ていた。

写真は父の独身時代の写真で、淡水公学校の校庭で撮った教員の写真である。
前列向かって中央右が校長でその後が父である。その右は現地人の教員で、日本人教員と一緒に教鞭を執っていた。

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