2006年03月07日
(ブレーメンとオイローパ:20) ブルーリボン
- bremen
- 08:42
- カテゴリー:ブレーメンとオイローパ
書斎に講談社刊のブルーバックスという文庫本が並んでいる。
その中の一冊に「この日なんの日、科学366日事典」(フレア情報研究会・編著)という本がある。
2002年6月20日初版1刷発行である。
その本の3月7日(P76)の項に次のような一行が載っている。
『独の汽船「ブレーメン号」が大西洋横断新記録(1932)/4日17時間』
え、と思った。
ハンブルクのブローム・ウント・フォス造船所とブレーメンのヴェザー造船所で同時に起工された「オイローパ」と「ブレーメン」は1928年6月15日(オイローパ)と翌16日(ブレーメン)に進水した。
普通、船台からの進水は大潮の満潮時刻を見計らって計画される。
船舶誕生の最大のイベントであると同時に非常にリスクを伴う工事だからである。
それを1日ずらしたのは船主と招待客がハンブルクとブレーメンで同じ日に行われる進水式に出席出来ないからである。
多くの書籍には、ヒンデンブルク大統領が両船の命名をするために1日ずらしたと言われていた。
敬愛するN氏の著書にもヒンデンブルクが「オイローパ」の進水式に臨席したと記述されている。
ヒンデンブルクは「ブレーメン」の命名を行ったことは事実である。
ヴェザー造船所で命名を行ってる写真も残されている。
しかし「オイローパ」の命名を行ったのは駐独米大使ヤコブ・グールト・シュアマンであった。
両船は1929年7月に揃って大西洋にデビューするように計画が進められていたがこれは実現出来なかった。
ハンブルクのブローム・ウント・フォス造船所で艤装中に出火してその修復に8ヶ月を要したからである。
至誠堂刊:トム・ヒューズ著:出光 宏訳『大西洋ブルーリボン史話』を紐解いて見た。
「ブレーメン」は1929年7月16日にブレーマーハーフェンを出港し、4日17時間42分でニューヨークに到着し、英キュナードの「モレタニア」が20年保持していたブルーリボンを勝ち取ったのである。
「ブレーメン」は復航で東航記録も破っている。
東航は4日14時間30分で走っている。
デビューが遅れた「オイローパ」も1930年3月25日に処女航海に出て4日17時間6分で「ブレーメン」の記録を更新している。
それにしてもブルーバックスの1932年日3月7日と言うのは何だったのだろう?
写真はブレイナード氏から寄贈されたサイン入り著書「THE BREMEN & THE EUROPA」に掲載されていた J.M.Zupan 描く Bremen を転載したものである。
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