2006年01月12日
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(飛行艇の時代:40) インペリアル航空の「Cクラスボート」
BAの前身BOACは、インペリアル航空が当時のブリティッシュ航空(1935年にヒルマン航空、スパルタン航空、ユナイテッド航空などが合併して出来た航空会社)を吸収して1939年に出来た会社である。
ショート・S23「エンパイア」は、日の沈むことがないと言われた大英帝国圏内に追加料金なしでエアメールを配達するというエンパイア・エアメール計画により開発された飛行艇である。
同プロジェクトのR.H.メイヨー少佐が要求仕様書をまとめ、1935年に試作艇もなしにいきなり28艇という大量発注が行われた。
ショート社のアーサー・グージ技師は、S8カルカッタとS23エンパイアを設計した功績により後年サーの称号を与えられている。
乗客定員は22名に押さえ、2箇所のトイレット、客船のようなプロムナードラウンジ、サロンを備えたエンパイアボートは、”C”で始まる固有艇名がつけられ、一般にはCクラスボートとして知られていた。
1938年に入るとサザンプトンから毎日、インド・南アフリカ・マニラ・オーストラリアに飛び立って行ったという。
エンパイアでは操縦室をコックピットと呼ばずブリッジと呼んでいたし、乗組員の制服も船舶に準じていた。
艇首には錨も備えてあり、クルーは船舶と同様にブイ取りを行う。
モーターボートの誘導で離水ポイントに自航し、連絡や交通を支援するボートとの連絡は船舶と同様手旗によっていた。
従って乗組員はだれでも手旗信号を習得していた。
夜は寄港地に停泊し、乗客はホテルで宿泊したが食事も宿泊も運賃に含まれていた。
挿し絵は(株)ワールドフォトプレス発行の「超巨人機エアバスA380」から転載した。
艇名「CANOPUS」はエンパイア飛行艇の初号艇で、1936年7月4日に進空している。
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