2005年12月18日
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(長崎紀行:1) ホテルシップ「ビクトリア」
三菱長崎造船所の対岸、観光ポイントのひとつクラバー邸の眼下にホテルシップ「ビクトリア」がいる。
かつての国鉄青函連絡船「大雪丸(Ⅱ)」の後身である。
昭和63年に青函連絡船が終航になり、そのとき在籍していた連絡船はスクラップされたものもあり「松前丸」のように北朝鮮に売却されたものも、青森の「八甲田丸」、函館の「摩周丸」あるいは船の科学館の「羊蹄丸」のように原状保存されているものもあるが、「檜山丸」「石狩丸」のように貨物船から客貨船に改装されたものもいる。
「十和田丸」は関西の飲食業グループに引き取られ、クルーズ船「ジャパニーズドリーム」として再デビューしたが時期が早すぎたのか係船に追い込まれ、長らく佐世保港に繋留されていた。その後フィリピンに売却され、ホテルシップになったが現状はよく判らない。
その中で「大雪丸」は横浜の日本鋼管で保管されていたが、ハヤシマリンカンパニーに買い取られ平成8年にホテルシップ「ビクトリア」としてオープンした。
私は平成9年の大晦日に「ビクトリア」でカウントダウンに参加し、在泊船舶の汽笛と共に新しい年を迎えた。
今月20日で閉鎖されると聞いて8年ぶりに訪問したのである。
写真は昨日訪船(?)したときの写真である。
船体は白く塗られ、赤いリボンが引かれている。
ホテルシップ「ビクトリア」の名前と別に連絡船であったときの「大雪丸」の船名表示も残されている。
当日はファイナル・ダンス・パーティが開かれていた。
これに参加するために遙か鹿児島からマイクロバスを仕立ててきたグループもいた。
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