2005年12月15日

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(生い立ちの記:30) 浚渫船研究統轄(2)

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H造船所では昭和29年に当時の建設省にポンプ浚渫船「第2利根丸」を引き渡して以来、同36年に水野組(現:五洋建設)向けにポンプ船「瀬戸」、同37年・39年に国土総合開発に8000馬力タービンポンプ船「国栄丸」「第二国栄丸」を建造するなど、各種浚渫船を30隻以上建設している。

昭和50年頃、エジプトのスエズ運河庁から、大型ドラグサクションドレッジャー1隻、大型カッターサクションドレッジャー2隻を受注した。

スエズ運河はレセップスが10年の歳月をかけて開削し1869年に開通したが、完成後はエジプト・フランス・イギリスで利権が争われてきた。
イギリスは1875年に運河会社の株式44%を取得、1882年に起きた反乱の鎮圧を口実に事実上占領してしまった。
1952年の革命でナセルが政権を取得すると運河の国有化を断行し、アラブ連合共和国のスエズ運河庁(SCA)が運河を管理するようになったのである。

1960年を初年度とするエジプト政府の「ナセル計画」により紛争で荒廃した運河の拡幅増深工事に着手した。
10mであった水深を14.5mまで掘り下げ、パイパスも計画された。

この計画に水野組(現:五洋建設)が協力して日本から大型ポンプ船を持ち込んで条件の悪いスエズ運河の改修工事を行った。
岩盤浚渫も難工事であったが、岩石だけでなく紛争で投下された機雷が浚渫ポンプで爆発するなど非常に危険な工事であったと同社の現場責任者から話を聞いたことがある。

第一期、第二期の拡幅増深工事が一段落すると、スエズ運河庁が維持浚渫を行うことになる。
このため、大型カッターサクションドレッジャー・ドラグサクションドレッジャなど大型作業船数隻を建造することになったのである。

カッターサクションドレッジャーの一番船は昭和51年晩秋に建造工事が終わり、竹原沖の試験海面に曳航されて各種試験が実施された。

船主の意向でスパッドキャレッジなど新しい機構や方式が多く組み込まれていた。
それぞれの機構について作動確認や性能評価など社内試験・客先立会項目が多く、スパッドを打ち込んだり引き抜いたり、カッタやポンプの連続運転などを行うため竹原に曳航して試験を行ったのである。
造船所沖の海面では漁業補償や騒音被害などで長期の試験が出来なかったのである。

このときの新造工事で評価され、スエズ運河庁からはその後、浚渫船など作業船を継続受注している。

写真は、竹原沖の本船に通船で渡るときに船頭に頼んで一周して貰って撮った写真の一齣である。

早朝で、まだ上部構造の所々に照明灯の点いているのが判る。


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