2005年12月07日
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(飛行艇の時代:38) 二式大型飛行艇
昭和13(1938)年夏、海軍から川西航空機製作所に97式大型飛行艇の後継艇の試作指示が出された。
主任設計者には97式飛行艇を開発した菊原静夫があたって一号艇が完成したのは昭和15(1940)年の大晦日であった。
約3ヶ月にわたる社内試験と改修を行って昭和16(1941)年3月26日に海軍に納められた。
昭和13年に試作指示が出ているので公式には「一三試大艇」であるが「旭」という愛称が付けられていた。
昭和17(1942)年に制式採用となり「2式飛行艇11型原型(H8K1)」と呼ばれることになる。
哨戒・索的・雷撃を目的に開発されたが、高性能のため多方面に重用され、連合艦隊司令長官の古賀中将の乗機となったこともある。
「2式飛行艇」として131艇製造されたほか、輸送飛行艇とした「晴空」として36艇製造されている。
納入先は全て海軍であった。
これを元に木製大型輸送艇も開発されたが実用には至らなかった。
戦後、米海軍が持ち帰りその高性能に驚いたという逸話は有名である。
写真の艇は、長らくノーフォーク海軍基地で保管されていたが昭和54年に日本に返還された。
(財)日本海事科学振興財団の「船の科学館」に引き取られ復元工事の後提示されていたが自衛隊に譲渡され、現在は海上自衛隊鹿屋基地に移されている。
垂直尾翼の「T-31」という記番号から、詫間基地所属の艇で昭和18(1943)年製造の26号艇であると推察されている。
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