2005年11月10日
(生い立ちの記:22) 波浪外力解明のための実船試験(4)
瀬戸内海の製鉄所の岸壁を出て10日目には、シンガポール沖をかすめてマラッカ海峡に入った。
船橋のレーダーで見ると大小様々な輝点が何十も見える。
殆ど全ての点が航行している船舶である。
西航の専用船は空船で航行に必要な海水バラストを積んでいるだけなので乾舷が高いが、ペルシャ湾から原油を満載して日本に運んでいるタンカーは波が甲板に打ち込むほど沈んで如何にも重そうである。
トビウオが間違って船上に飛び上がることもある。
一日あまりかけて海峡を通過するとインド洋に出た。
ここから10日あまり南アフリカの喜望峰をめざして南西に航行した。
洋上の風は気象観測のテキスト通りに、高気圧から低気圧へ回り込むように吹く。
山も高層建築物もないから教科書通りである。
そして常に偏西風が吹いているから写真で見ると穏やかそうでも常時長さ100〜200m程度のうねりがある。
風の吹き始めはいわゆる風浪であるが長時間持続すると段々大きなうねりに成長する。
船橋の正面に振り子があった。
この振り子が両側30度(?)のストッパーにコチン・コチンと当たるのである。
デッドウェイト11万トンの船が30度も傾くわけではない。
10秒前後の横揺れ周期による慣性のため自励運動で船体傾斜以上に揺れるのである。
東経80度(セイロン(スリランカ)近くを通る経線)辺りから日本との連絡もとれなくなった。
以前は国際航路の船舶局は24時間体制であったので、受信した船がリレーしてくれ世界中から電報が届いたのであるが、その当時の船舶局は局長(通信長)と次席さん(通信士)しか乗っていないので常時ワッチすることが出来なくなっていたのである。
その頃から本船の揺れは酷くなっていた。
航海士や機関士は自分の当直時間以外の時間に食事を摂るのであるが、セカンドエンジニア(2E)が食事に来なくなった。
船酔いのため自室でのびていたらしい。
ある日、波浪観測や撮影・計器の点検などから自室に帰ると、テーブルが4本足を上にして転倒しており、戸棚のファイルや書籍が床に散乱して足の踏み場もなくなっていた。
船舶の家具は揺れや傾斜に備えて、引き出しも戸もストッパーが付いていて簡単には抜け落ちたり、開いたりしないようになっている。
それでも何日も続く横揺れには耐えきれなかったらしい。
この部屋の片付けには2〜3日掛かったように思う。
数日続いたうねりのあとで、2Eに「当直に出なければ駄目じゃないですか(笑)」と言うと「私が計器を見ていなくても船は走りますから・・」と決まり悪げであった。
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