2005年10月15日
(ブレーメンとオイローパ:11) 「リベルテ(旧オイローパ)」の煙突
- bremen
- 07:35
- カテゴリー:ブレーメンとオイローパ
「ブレーメン」は第二次世界大戦が勃発する直前、ニューヨーク港にいた。
アメリカ政府は危険品積載検査などを口実にこの船を引き留めようとしたが、ドイツ機械化部隊がポーランドに進撃する2日前、ニューヨークを出港し拘束を免れた。
全速力で大西洋を北西に走りノルウェー沿岸を北上し、バレンツ海のムルマンスクに逃げ込んだ。
ドイツへ向かうと、北海で警戒網を張っているイギリス海軍に見つかる恐れがあったのである。
ニューヨークからムルマンスクまで走っている7日の間に宣戦布告が行われていたがソ連とドイツは不可侵条約を結んでいたのでこれを保護した。
「ブレーメン」は僚船「オイローパ」と共に英本国侵攻作戦のため迷彩を施されていたが、ブレーマーハーフェンで兵員収容施設として利用されていたときに火災になり戦後まで放置されていた。
放火と言われている。
ドイツ降伏後に曳航され爆破沈没処分となった。
いまでもベザー川底には残骸の一部が残っていると言われている。
「オイローパ」の方は空母に改造する案もあったが、改造も処分も免れて終戦の日を迎えた。
戦後はアメリカの兵員輸送船「ヨーロッパ」として復員に従事していたが、フランスに賠償として引き渡され「リベルテ」となった。
状態が悪くて再生工事は大変だったようであるが、ルアーブルからサン・ナゼールに曳航され、そこの造船所で改装が行われた。
このとき、ニューヨークで火災に遭う前に保管してあった「ノルマンディ」の家具も使われたと言う。
このたび、William H. Miller 著 "Transatlantic Liners 1945-1980" を入手した。
この本の著者名には "Jr." の文字はないが、カバーに1948年生まれと書いてあるので、客船に関する沢山の著作を発表している William H. Miller Jr. 氏であろう。
数年前、英国諸島を巡るクルーズの「クリスタル・シンフォニー」船上で彼の講演を聴くことが出来た。
上掲の写真は、その本に載っていた写真を転載したものである。
上の写真は1950年に撮影された改装後のオリジナルな煙突を示している。
下の写真は1954年にその煙突に丸みのついた頂部を追加したあとに撮られた写真である。
我々にはこの方が馴染みが良い。
パラマウントの映画「麗しのサブリナ」で、ライナス・ララビーの重役室の窓から出港してゆく「リベルテ」を望む印象的なシーンで撮影されていたのは煙突頂部を少し丸めたこの姿であった。
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