2005年09月16日

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(飛行艇の時代:25) 川西大艇

Kawanishi.jpg

幼い頃、目に焼き付いた川西の大型飛行艇の姿を再現したくて写真や模型を参考に描いてみた。

人の描いているのを見ると易しそうであるが、いざペンを取ってみると何処から書き始めて良いのかすら判らない。

翼幅40mのスケールを表現するのは難しい。

大日本航空所属の「綾波」の登録記番号を入れてみた。

大日本航空では「叢雲」「東雲」「綾波」「漣」のように雲や波にちなんだ愛称をつけていた。

これから少しずつ描いてみようと思っている。

Comment on "(飛行艇の時代:25) 川西大艇"

はじめまして、ハーブの住人と申します。
kobeportさんのリンクで、『★(旧)紺碧の海』 さんの2つ上にリンクして頂いている若輩者です。
乗った経験さえ無いのですが、小さい時から新明和神戸から飛び立つ飛行艇(US−1A)を見ていたため飛行艇には、憧れがありました。
去年あたりから、塗装済完成品の小さな模型(144分の1スケール)が売り出されているので、コレクションを始めました。
先日、行きつけの模型店で、川西九七大艇23型のプラモデルを見つけ、『(旧)紺碧の海』さんのこのページのイメージスケッチ、『大日本航空所属の「綾波」』を脳裏に浮かべながら、買ってしまいました。
『飛行艇の活躍した頃』を楽しみに拝見させて頂いています。

私の死んだ父は、戦中、軍属でシンガポール(昭南島)に商港の設計・施工技師として入っておりました。 米軍捕虜になった後、帰国して新M重工に復籍し、その後もM社K造船所に勤務していた為、造船とは縁の深い処で育ちました。

これからも貴重の体験や資料を楽しみに拝見させていただきます。よろしくお願いいたします。

ハーブの住人さん
来訪ありがとうございます。
神戸が大好きで月に何回も行っていたこともあります。
九十八番屯所も良いところですね。
参考にさせて貰います。
私もお父上と同じ会社で造船技師をやっていました。
神戸も横浜も長崎も下関もよく出張に行ったものです。
気ままに書いていますが気が向いたら時々覗いてやって下さい。
神戸にまたお知り合いが出来て喜んでいます。
これからもよろしくお願いします。