2005年09月13日

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(飛行艇の時代:24)バーミューダに就航したS42B

S42B.jpg

水彩で描かれた実に美しい絵である。

バーミューダで発行された切手であるが、下縁に「1937年6月18日、ニューヨークから航路開設の第1便として飛来したシコルスキーS42Bが繋留されている図である。」と注記されている。

白の制服制帽の乗組員がボートで乗客を陸岸にとどけるところで、艇体左舷には次のボートを待つ乗客と誘導している乗組員の姿が見える。

艇首からマニラロープでブイに繋留されているが、艇内にもアルミニューム合金の錨が収容されており、ブイのような繋留装置のない場合はその錨を投下して繋留することが出来た。

この絵では、艇体が水平に描かれており、翼端のフロートが空中に浮いているが、実際には左右どちらかのフロートが着水し、その浮力で浮いていた筈である。
当然、艇体はそれだけ横に傾斜している。

描かれているボートは陸岸から差し向けられたものであろう。

パンアメリカン航空が提示した仕様に基づいてシコルスキーがこのS42を、マーチンがM130を開発し、パンナムはS42を10艇、M130を3艇発注した。

シコルスキーS42はS40を発展させ長距離渡洋飛行に飛行艇を定着させた歴史的名機である。

乗客の座席は最大で32席、寝台仕様で14席、航続距離は2000kmに満たなかったので、S42は3艇作ったのみで長距離型のS42Aを4艇、S42Bが生産された。

パンアメリカンは、中南米だけでなく太平洋にも飛行艇で航空網を拡張して行った。

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