2005年08月26日
飛行船概史(5) 第一次大戦の敗戦と「グラーフ・ツェッペリン」
第一次大戦で、ツェッペリンの飛行船はドイツ海軍に64隻が投入され、17隻が撃墜あるいは事故で破壊された。
海軍飛行船による戦死者は389人にのぼり捕虜になったものは147名に及んだ。
陸軍では50隻が作戦に参加し、うち17隻が撃墜され9隻が事故で破損し、19隻が解体され、52人の戦死者21人が捕虜になった。
1915年から3年間に英国に出撃した飛行船は延べ50隻に及び、英国側の犠牲者556人、負傷者は1357人に達したと言う。
ツェッペリン伯も大戦中に死亡した。
戦後ツェッペリン会社に残った13隻の飛行船はヴェルサイユ条約により、イタリア・フランス・日本に引き渡せれたり破壊されて、LZ114(L72)のみが残った。
日本海軍はLZ75(L37)を希望し、格納庫も霞ヶ浦に移設された。
1918年、LZ120(後のボーデンゼー号)が建造され、ベルリン・フィリードリッヒスハーフェン間の国内航路を開設した。
1919年にはLZ121(ノルトシュテイン号)が建造されたが、ボーデンゼー号はイタリアに、ノルトシュテイン号はフランスに引き渡された。
アメリカはドイツへの賠償300万マルクの肩代わりとしてアメリカ向けにツェッペリン飛行船の建造を提案した。
これがLZ126である。
1922年に建造に着手され1924年8月に完成した。
この飛行船は正式にZRⅢと呼ばれ「ロサンゼルス号」と命名された。
ツェッペリンの第116番目の飛行船であった。
水素ガスを充填してニューヨーク郊外のレークハーストに到着したときに、24万ドルをかけてヘリウムガスに置換された。
コストは水素ガスの40倍とも60倍とも言われている。
1926年5月に新型飛行船の建造が開始された。
LZ-127「グラーフ・ツェッペリン」である。
この飛行船が1928年に完成し、1929年に世界一周飛行をしたことはよく知られている。
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