2005年08月22日
飛行船概史(1) モンゴルフィエの熱気球とシャルルの水素気球
飛行船は熱気球を基本技術として改良発展してきたものである。
熱気球はオモチャのような模型で飛ぶことは知られていたが、実際に人を乗せて飛んだのはモンゴルフィエ兄弟のものが最初であるとされている。
1783年11月21日、パリのブーローニュ森にあるシャトー・ド・ラ・ミュエートの前庭で、ロジェとダルランド侯爵という2人の勇敢なフランス人が人類最初の飛行に成功している。
約20分間の飛行で、高度は500m以上に達したと言われている。
モンゴルフィエ兄弟は慎重であった。
その2ヶ月前の9月19日に兄弟の製作した気球は、ヒツジ・アヒル・雄鶏を乗せてヴェルサイユ宮殿の前庭でルイ16世、王妃マリー・アントワネットなどの見守る中で離床上昇し、高度550mまで上がった。
これに確信を得て11月21日の飛翔が実施されたのである。
シャトー・ド・ラ・ミュエートは建築後数度の改装を重ねたがその後も存続し、OECD(経済協力開発機構)の事務所に使われたりしている。
初めての搭乗を志願した物理学者のピラートル・ド・ロジェ(1757〜85)は、1785年6月15日、水素気球を組み合わせた新型気球で英仏海峡横断に挑戦し、空中火災で最初の犠牲者になった。
フランソア・ローラン・ダルラント侯爵(1742〜1809)の初飛行の年齢は不惑を越えたばかりの41歳であった。
確かに素晴らしい飛行の第一歩であった。
1870年9月から翌年1月にかけて、普仏戦争でプロシャ軍に包囲されたパリから総計66個の気球が放たれ、郵便物・伝書鳩などが送り出されたが、飛行方向や到達距離が思うに任せず、適地に着陸したものもあった。
この気球には人も乗せて飛んだと伝えられている。
当時は、いまの熱気球競技のようにバラストを調整して、上昇気流や目的の方向に吹く風をつかまえて飛翔する航法はなかったので方向は風任せであった。
自航能力と操縦性の願望は当然のことであった。
モンゴルフィエ兄弟が熱気球で世界の注目を集めているとき、シャルル教授と助手のロベールは水素気球に計器を積み込みパリで2時間の飛行に成功している。
ロジェとダルランド侯爵の初飛行の10日後の12月1日のことである。
テュイルリー宮殿を出発し、パリ上空を飛行したシャルル教授の飛行船を目撃したパリ市民は20万人と言われている。
1784年にはイタリア人のパウロ・アンドレアーニも水素気球の飛行に成功した。
翌1785年1月にはフランス人のフランソワ・ブランシャールが水素気球でドーバーからカレーまで英仏海峡横断飛行に成功した。
1786年にはドイツのリトゲンドルフもアウグスブルクで水素気球を飛ばし、その後の気球は水素気球が主流となった。
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