2005年08月01日
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(ブレーメンとオイローパ:10)オイローパの命名者
- bremen
- 09:55
- カテゴリー:ブレーメンとオイローパ
いままで調べた文献では「オイローパ」の進水式は、1928年8月15日に、ヒンデンブルク大統領の臨席のもとで行われたと書いてあるものが多かった。
「オイローパ」と「ブレーメン」の進水式の日程が同じ日ではなく一日違いに予定されていたのは、ヒンデンブルク大統領が同じ日にハンブルクとブレーメンで命名することが出来ないからであると言われていた。
「ブレーメン」については船台上で命名書を読み上げる写真があるので疑う余地はない。
N氏の名著にも「オイローパ」の進水式はヒンデンブルク大統領列席のもとに行われたと記述されている。
ところが、ブレイナード氏の新刊書では「オイローパ」を命名したのは、駐独米大使ヤコブ・グールト・シュアマンであると述べられている。
両船はニューヨーク航路に就航する予定であるから駐独米大使に依頼したのであろう。
ブレイナード氏のサイン入り著書の寄贈を受けたことで、従来あまりはっきりしていなかった両船の基本設計を行ったのがシュヒティング博士であることも判明した。
今後、読み続けることが楽しみである。
よく知られているように「オイローパ」は第2次大戦後、フランスに引き渡されてフレンチラインの「リベルテ」となった。
オードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」のフィーナーレは、ニューヨークを出港する「リベルテ」のプロムナードデッキであった。
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