2005年07月31日
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(飛行艇の時代:20) シコルスキーS40
1930年代のエアライン・ポスターの一つで、描かれているのはシコルスキーS40飛行艇である。
パン・アメリカンが初めて「クリッパー」と呼んだのは、このシコルスキーS40の1号艇「アメリカン・クリッパー」で、その後クリッパー(快速船)という名詞は4発飛行艇を指すものとして定着した。
乗員は4名、乗客定員は38〜40名であった。
主にカリブ海沿岸で使用されていた。
この絵では尾翼が見えないが「APPENDIX-2」で示したように単葉の主翼と尾翼を艇体から支柱で持ち上げたような独特のスタイルである。
ハバナかどこかにバケーションに出掛ける乗客が搭乗中である。
パン・アメリカンはS40を上回る要求仕様をまとめ、これに基づいてシコルスキーがS42を、マーチンがM130を開発し渡洋定期便の時代を迎えるのである。
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