2005年07月30日
トレーニング日誌(20)
早いものでトレーニング日誌も20回となった。
土曜日なので多いだろうととは思ったが11時頃出掛けた。
今日は曇り空ながら降っていなかったので自転車で行った。
朝からお向かいの「川内の里」では夏祭りで近くの小中学校から借りてきたテントを建てて準備をしていた。
流石に土曜日は午後休診だから外来が多かった。
どうもウォーターベッドのマッサージがボトルネックになっているらしい。
いつものコースをやって貰ったがウォーターベッドの順番が回ってこないので首の牽引までやって貰った。
左肩は、あまり上がらなかったが回数を重ねることである程度上がるようになった。
今日も左肩を上げて貰った。
そのときに「見ました。」と言ってくれた。
一昨日、聞かれて渡したURLで「南十字星」と「紺碧の空」を見てくれたらしい。
「船のことも書かれたのですか?」と聞かれた。
「私は、造船設計技師が本職です。」と言っておいた。
そのうちに見てくれるかも知れない。
話の中で、ブルーネルが設計したクリミヤ戦争のプレハブ野戦病院に及んで、ナイチンゲールが従軍したのはクリミヤ戦争だったことにつながり「私も小学生の頃、ナイチンゲールの話を聞いて看護士(看護婦)を目指しました。」と聞いたときはちょっと感激した。
現在、宇宙ステーション近傍にいる野口氏も小学生の頃から宇宙飛行士を目指して、現にその仕事に従事している。
こんな話がこんな身近で聞けるとは嬉しいことである。
私は、いまの日本で気掛かりなのは、子供達や若い者に人間としての目標がないことであると思っている。
尊敬する人物や、目標にする人がいないから、男の子は野球選手だのサッカー選手くらいしか目標がないのである。
女の子も「のど自慢でも良いからテレビに出たい」と言う。
1曲だけで消えてしまう泡沫歌手でも良いらしい。
大学生が就職先を検討するときに英語も出来ないのにスチュワデスを希望したり、それが無理なら地上勤務でも良いと言うのが居るらしい。
自分の一生を掛ける仕事が判らないのである。
これは、いまの大人が悪いのである。
昔は政治家にしても、実業家にしても、技術屋にしても、若い者が目標するような立派な人が沢山いた。
そんな目標が見あたらないことも、自分の両親を尊敬できないことも含めていまの若い人や子供はかわいそうだと思う。
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家に帰って、二胡のケースを持って街に出た。
月末でもあるし、理髪店に行った。
左手がトレーニング中なので耳掃除もお願いした。
今日は7月第5週だから二胡のレッスンはないと思いこんでいた。
音楽院に行くとメンバーが揃って練習前の打ち合わせをしていた。
(レッスンがあると知っていたら耳掃除しなければ間に合ったかな?)
いきなり「埴生の宿」を暗譜で弾けという。
チューニングもせずに弾いた。
何とか出来た。
師曰く「先週から急に上手くなった。」
楽器のせいだと思う。良い楽器を持つと借り物の安い楽器のときと較べて気持ちの入れ方が違う。
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今日のトレーニング日誌は、左腕のトレーニングと二胡のトレーニングが一緒になってしまった。
反省。
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