2005年07月26日

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(生い立ちの記:19) 波浪外力解明のための実船試験(1)

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昭和46年8月から同年10月まで、瀬戸内海からマラッカ海峡・インド洋・喜望峰を経由してアフリカの西岸(大西洋)まで、新造の大型鉱石運搬船による大掛かりな実船試験に乗船した。

それに先立つ昭和44年1月4日、ペルーから5万トン余りの鉄鉱石を京浜工業地帯に輸送していた「ぼりばあ丸」(昭和40年9月竣工の総トン数33000トンの鉱石運搬船)が東京湾を目前に、野島崎沖で船体折損し、2等機関士と司厨員が救助されたのみで残り30名の乗組員が死亡する事故が起きた。

その海難審判が行われている昭和45年2月9日に、ロスアンゼルスからペレット(鉄鉱石の粉末を粒状に焼結したもの)を60000トン余り積載して来た「かりふぉるにあ丸」(総トン数:34000トン)が、やはり野島崎沖で船首外板に破口を生じ沈没し、負傷者8名を含む24人が救助されたが、離船を断った船長を含む4名が行方不明となったのである。

2隻とも、昭和40年に建造された新鋭の専用船であった。

その頃、世界をリードしていた日本の海運・造船界は立て続けに起きた事故に衝撃を受け、原因の解明とその対策のために、国家プロジェクト的な対応を計った。

運輸省の外郭団体、日本造船研究協会に昭和45年度後期から昭和49年度末まで、SR124部会「大型鉱石運搬船の船首部波浪荷重および鉱石圧に関する実験研究」を設立し、合計数億円の予算で、航行中の船舶に働く波浪外力とその応答の測定を行うことになった。

H造船所では、大阪商船三井船舶向けに第25次計画造船で載荷重量11万7000トンの鉱石運搬船(総トン数:65849トン)を建造中であった。

この船を供試船とすることが決まり、建造中の船首船底部外板などに波浪による衝撃圧を計るための圧力が設置され、船体構造部材にも静的・動的歪みゲージが取り付けられた。

海が荒れて時化た状態の波浪外力と、船体構造の応答を測定するのが目的だから、南米チリ往復・豪州往復など数次にわたって計測員を乗り組ませて実稼働状況下の実船測定が行われたのである。

観測項目は多岐にわたっていた。

船橋で当直航海士から目視波高・波長を訊いて記録するだけでなく、航空測量用カメラをベースに開発した3次元波浪測定用カメラを露天船橋に設置し定時撮影を行った。

長時間にわたる波浪を測定するために投捨式波浪観測ロボットも、毎航何基か投下した。
電池が内蔵されており、長時間にわたってそのブイの上下加速度・振幅を受信機で記録した。

船体各部に取り付けられた20点余りの圧力計と船体構造部材に貼り付けられた歪みゲージの出力も毎日記録した。
このため、当時珍しかったディジタル式データレコーダも計測室に設置されていた。

我々が計測班として乗船したのは、日本からマラッカ海峡・インド洋・喜望峰を回って大西洋に入り、西アフリカのモサメデス(アンゴラ)往復2ヶ月の航海であった。

それまでに、チリ往復(2ヶ月)で1回、豪州往復(半月)で数回の実船計測が行われていた。

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