2005年07月25日

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(客船のポスター:17) エンプレス オブ ブリテン

EobBriain.jpg

今回はカナディアン・パシフィックの「エンプレス オブ ブリテン」を取り上げた。

カナディアン・パシフィック汽船(CPL)は、カナディアン・パシフィック鉄道が、北米大陸横断鉄道の終点バンクーバーを起点に興した海運会社である。

第2次世界大戦後は、市場にだぶついた輸送機を利用して世界中で航空会社が乱立したが、カナディアン・パシフィックも航空会社を設立した。

戦後の海外旅行は航空機利用が一般的となったので、太平洋の客船運航は復活出来ず、社名に残るのみとなった。

カナディアン・パシフィックの客船は、船名にエンプレスを冠していた。

「エンプレス オブ エイシャ」「エンプレス オブ カナダ」「エンプレス オブ イングランド」「エンプレス オブ ジャパン」「エンプレス オブ ロシア」などの船名を付けていた。
「エンプレス オブ ジャパン」は大戦が始まると「エンプレス オブ スコットランド」と改名された。

この伝統は、航空会社にも引き継がれ香港や日本に飛来するカナディアン・パシフィック機には「エンプレス オブ トウキョウ」「エンプレス オブ モントリオール」などの機名がつけられていたそうである。

このポスターの「エンプレス オブ ブリテン」は2代目である。

1931年にスコットランドのジョン・ブラウン造船所で建造された3本煙突のタービン船で、総トン数42348トンの4軸船である。
サザンプトン・ケベック間の定期運航とクルーズに従事したが、大戦中 兵員輸送船としてアイルランド沖でナチスドイツの爆撃を受け2日後にUボートに撃沈された。
人命の損害は49名であった。

初代「エンプレス オブ ブリテン」は1906年生まれの総トン数15000トン級で1930年にスクラップされた2本煙突の汽船であった。

3代目は1956年に建造された25000総トン級の太い一本煙突のタービン船であったが、転売されて1998年頃までギリシャでクルーズ船として稼働していたが、恐らく退役したものと思われる。

この絵はがきもリバプールのマージーサイド・マリタイム・ミュージアムで購入したと記憶しているが、絵はがきにはコリン・アシュフォード(第3回:「モレタニアか?アキタニアか?」参照)の作とある。

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