2005年07月20日

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(生い立ちの記:18) 進水記念絵はがき

H180.jpg

入所・配属の頃は新造船の工事量が少なく、少ない仕事を食い延ばしたり、造船所の構内を整備していたが、その頃から新造船の工事が次々と舞い込んできた。

その頃の貨物船は美しかった。
船らしい船であった。
船体上甲板はなだらかなシアを描き、船首楼(フォクスル)・船橋楼・船尾楼からなる、いわゆる三島型船型で、船首船側外板は緩やかなフレアを持っていた。
船尾は一般に巡洋艦型船尾(クルーザースターン)で、ヨットの船尾のようなトランサムスターンはなかった。
ちょっと年期の入った船のカウンタースターンも良いものであった。
(イタリアの客船レックスはカウンタースターンであった)
その当時は最近のクルーズ船のような「ティッシュボックス型」の船はいなかった。

H造船所でも入社するちょっと前まで、M海運など国内向け貨物船を20隻あまり建造していた。
後年、M海運はN郵船と合併したが、M海運の船の中にはN郵船の船より良いものがいると噂を聞いたこともある。

一万総トン級の船尾機関貨物船を十数隻建造したのもその頃のことである。

その頃から世の中の景気が向上し始め、工業団地埋め立て用の浚渫船や、重量物運搬船・木材運搬船など専用船の受注が多くなった。

撒積運搬船(バルクキャリア)や鉱石運搬船(オアキャリア)、鉱油兼用船(オア/オイル)など大型専用船が開発され、続々建造される時代になった。

グループの造船所で新しい専用船が建造されると、出張して試運転に乗船したこともあった。

H造船所では、社内でも鉱石専用船・鉱油兼用船の建造が多かった。

上に示した絵はがきは、H造船所180番船(鉱石運搬船)の進水式で配布されたものである。
この船あたりから構造設計の一部に携わったと記憶している。
懐かしい船の一隻である。

鉄鉱石は、専用港湾でローダーから船艙に積み込まれ、荷揚げも製鉄所のアンローダーによるので、船上に荷役設備はなくスッキリしている。

3万5千総トンの船に5万トン以上の鉄鉱石を積むのであるから荷役の前後では喫水の変動が大きい。
満載状態で設計するので、軽荷状態では喫水が浅くなりプロペラが水面上に出てしまう。

そのため、船側水槽に海水(バラスト水)を注入し、喫水とトリムを調整するのである。

鉱油兼用船と言うのは、この船側タンクに原油を積めるように配管したもので、鉄鉱石を運搬しない時には油送船として使うことが出来る。

H造船所では後年、載荷重量11万トンを越える鉱石運搬船や鉱油兼用船を建造した。

進水式があると、関係者や見学者にはこのような絵はがきが配られ、従業員には船名を染め抜いたタオルが配られていた。

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