2005年07月17日
(寄港地:11) ペナン
ペナン島に行ったのは、大津波の襲う前であった。
2004年の9月にシンガポール発着3泊4日で、ペナンとプーケットに寄港するショートクルーズである。
シンガポールで乗船して16時に出港し、翌日の昼にペナンのジョージタウンに着いた。
沖止まりである。
島の首都(?)ジョージタウンである。正面がマレー半島のバタワースと連絡しているフェリー乗り場である。
右手の木立の中にコーンウォリス要塞があり、海辺の赤い屋根の建物には古いヨットクラブの看板が掛かっていた。
正面の円筒形の高層ビルはコムタと言ってガイドブックによればショッピングコンプレックス、レストラン街、オフィスの複合ビルで、58階が展望台、59階にコーヒーラウンジがあるそうである。
上陸するとトライショウ(3輪自転車)に乗れ乗れとうるさいが、現地通貨マレーシアリンギットを持たないと断って、熱帯の海辺を散歩した。
海岸端を歩いていると、大きなサヨリが2匹 石垣の側を泳いでいるのが見えた。
港の左に白い船が見えるが、ギャンブル船か何かであろう。
マレー半島とはジョージタウン・バタワース間のフェリーの他、海上長さ5km以上のペナン大橋で結ばれている。
ここはマラッカ海峡の北口を制する戦略的要地であったので、ポルトガル・オランダ・イギリスにとって非常に重要な島であった。イギリスはシンガポール・マラッカ・ペナンを拠点にマレーシアを植民地化したのである。
先の大戦では日本の潜水艦基地であった。ドイツの潜水艦も寄港していた。
はるばるドイツまで往復してここまで帰ったが、シンガポール出港時に触雷沈没した潜水艦もいた。
便乗した要人や図面、貴重品などは寄港した港から飛行機で内地に送られた。
末期には制空権も奪われ危険な飛行であったが、潜水艦の撃沈の方が航空機から投下される機雷や敵潜の脅威によりずっと危険であったのである。
先週、「海と高原へ行こう! 爽やか馬來西亞(マレーシヤ)六日間」の旅へ行って來ました。 私のお目当ての一つは 最後に立ち寄った「檳榔島」(ペナン)の潜水艦基地跡を訪ねることでした。 戰史叢書によれば「昭和十八年四月中旬、第八潜水戰隊司令部は、ペナンに進出し、石崎司令官は同地の陸上に將旗を掲揚し・・・」とありますが、詳しい記録に行き当たってをりません。 多分コーン・ウヲリス要塞を挟んで現在のフェリー・ターミナルが潜水艦基地でE&O Hotelに將旗を掲げたのではないかと推測しますが、どなたか詳しい方、教えて下さい。