2005年07月05日

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(客船のポスター:14) ハンブルク・アメリカ・ライン

Hapag.jpg

ハンブルク・アメリカ・ラインは、北ドイツ・ロイドと並ぶ二大海運会社であった。

いまは両社が合併して ハパグ・ロイドとなっている。

このポスターは第一次大戦、ドイツ海運復興期のものである。

描かれているのは手前から「ハンブルク」(1926年建造、21132総トン)「ドイッチュラント」(1924年建造、20607総トン)「ニューヨーク」(1927年建造、21455総トン)「ハンザ」(1923年建造、23009総トン)の各船である。

ハパグには「ハンザ」という名の船が2隻いた。

先代の「ハンザ」は1900年に「ドイッチュランド」(16703総トン)として建造され、1911年に「ビクトリア・ルイゼ」と改名され、1921年にこの船名になっている。

ハパグで、唯一のブルーリボンホルダーであった。
ハンブルク・ニューヨーク航路で、西航(22.42ノット)・東航(22.46ノット)とも、北ドイツ・ロイドの「カイザー・ウィルヘルム・デア・グロッセ」の持っていた記録を破った。

その後、主機を換装してクルーズ客船に改装されて「ビクトリア・ルイゼ」となり、クルーズに就航していた。
大戦中は係船されていたが、戦後移民船として再就航したときの船名が「ハンザ」である。

この船は1925年に解体されている。

1923年に大戦後初めて進水した船は、ハパグの戦前の経営者にちなんで「アルバート・バーリン」と命名された。

バーリンがユダヤ人であったためにナチの圧力で1935年に「ハンザ」と改名させられて、戦時中はナチ海軍の練習船になっていた。

1945年にヴァルデミュンデで触雷沈没していたものをロシアが引き上げて「ソビエッキー・ソユズ」として貨客船になったが、1954年に火災を起こし再建された。

1981年にロシアで解体されている。

ポスターに描かれているのは後者である。

「ハンブルク」と「ニューヨーク」は姉妹船で、「アルバート・バーリン(ハンザ)」と「ドイッチュラント」とほぼ同型である。
外観上の違いは4本マストが2本になったことである。

4隻とも戦後、ブローム&フォスで建造された。


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