2005年06月30日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

(飛行船:9) 飛行船の南米航路

SudAmerika.jpg

LZ127「グラーフ・ツェッペリン」を描いたこのポスターは、画家アントンの作品である。

1933年から数年、ドイツのフリドリッヒスハーフェンを起点にブラジルのリオデジャネイロまで定期便が運航されていた。
寄港地はスペインのバルセロナ・セビリア、それにブラジルのペルナンブコである。

リオデジャネイロからアルゼンチンのブエノスアイレスまでは飛行機が接続していた。

地図にはドイツの中央部にルフトハンザのツルマークが見える。
リオデジャネイロとブエノスアイレスを連絡していたのはツェッペリン飛行船会社の代理店も兼ねていたコンドル・エア・ラインであろう。

南米にはドイツからの移民も多く、何とか飛行機で航空郵便が届けられないかと、その頃ドルニエの飛行艇 "Wal" やブローム&フォスの Ha139 などで中継船を使って試験飛行が行われたりしていた。

このルートを開拓するためにLZ127「グラーフ・ツェッペリン」は世界一周飛行の翌年、1930年にリオデジャネイロまで試験飛行を行っている。
(このとき、途中で寒波に襲われ、ヒョウのため外皮数十カ所に穴を開けられたと言われている)

既述のようにLZ127はキャビンが10室しかなく、乗客定員は20名である。

『南米まで3日で!』という文句が効いている。

南米までの運賃は1400マルクであったと言うが、現在の邦貨に換算すると幾らくらいだったのであろう?


Comment on "(飛行船:9) 飛行船の南米航路"

"(飛行船:9) 飛行船の南米航路"へのコメントはまだありません。