2005年06月28日
(ブルーネル:5) グレート イースタン
イザンバード・キングダム・ブルーネルの名は、非常識と思える巨船「グレート・イースタン」を建造した人物として知られている。
その船は、大きすぎたことと幾つかの不運のために見せ物にまでされて解体され、ブルーネルは建造中の心労のため、その船の試運転の直前に心臓発作でなくなったと伝えられている。
しかし、私は彼を高く評価している。
彼の最初の仕事がテームズ河底のトンネル掘削工事であったことからも判るように、土木技師であったことは前にも述べた。
その工事の期間中に、グレート・ウェスタン鉄道の初代技師長として、架橋やトンネルだけてなく今も残るパディントン駅のような駅舎を建設し、現在鉄道関係社によく知られているブルーネル賞に名を残している。
その彼が、造船技師(ネーバル・アーキテクト)も試みなかった大西洋を横断する蒸気船「グレート・ウェスタン」を設計し、工事監督をして造船史上に大きな業績を築いた。
次いで航洋鉄船「グレート・ブリテン」を建造し、蒸気機関で駆動するスクリュウプロペラを大西洋を横断する大型船で実用化したのである。
あきれるほどの巨船を議会にかけて承認させ、実業家を説得して建造資金をつくり、そのための造船所を整備してその巨船を建造することは並の人間の出来ることではない。
その船の基本計画から推進方式まで設計し、起工後はシルクハットにフロックコート姿で現場を歩き回り担当技師の仕事もこなしている。
この船は「リバイアサン」として、豪州航路のために計画され石炭搭載量もそれに基づいて決定された。
豪州への郵便運送契約が取れなかったために、アジア航路に向けられることになり、船名も建造中に「グレート・イースタン」に変更されたのである。
確かに試作船の色合いが強く改良すべき点は多いが、誰もなし得なかったその建造を実現したことは偉業である。
技術者はともすれば実績重視で確実な手段を執りたがる傾向がある。
それは堅実な方法ではあるが、それだけでは技術の壁を破る(ブレーク・スルー)こと は出来ない。
私は「グレート・イースタン」を、持て余された『白い巨象』ではなく、ブレーク・スルー の象徴と考えたい。
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