2005年06月24日
船雑感
私が船に興味を持っているは、ほかの乗り物と違って、そこが生活の場であるからである。
遊園地の乗り物は別に置くとしても、自転車・オートバイ・自動車・列車・ボート・飛行機などは移動の手段である。
英国などでは自動車道をトレーラーを曳いて走っている車が多い。
日本でも休暇村などにキャンピングカーで家族で行く人も居るし、私もそんなところのトレーラーハウスで休暇を楽しむこともある。
しかし、キャンピングカーやトレーラーハウスが生活の場とは言えない。
冷暖房はまかなえるとしても、給排水や給電は駐車している地域に依存せざるを得ない。
オートバイに寝袋を括り付けて走っている人達と共通するものがあると思う。
これは小型船舶についても同様である。
モーターボートやヨットに、クルーザーというのがある。
トイレもギャレーもあり、簡単な調理なら出来るし、ソファーをベッドにして寝ることも出来るが、独立した生活の場とは言い難い。
デイクルーズか、せいぜい1〜2泊であろう。
今月は斉藤さん、堀江さんがヨットで単独無寄港の世界一周を達成して話題になった。
しかし、これは常人の出来ることではなく、長期間の海上生活とは言えないと思う。
フェリーも移動のための手段である。
いつもトラックを載せて決まった航路を走っているフェリーが年末年始に「小笠原クルーズ」などと称しているが、あれは仕事のない期間のアイドル対策である。
(ついでながら、このような場合のチラシにクルーズ船より安い印象を与える料金表が必ず載るが、食事は別料金でありこれを上乗せすると「どうしてこんなに高いのだろう」という料金になる。同じ条件で比較できるようにして欲しいと思う)
旅客機も、かつては談笑できるラウンジがあり、夜になるとシートをベッドにして休んでいたが、今は短パンにゴム草履のようなお客様を詰められるだけ詰め込んだ単なる大量輸送システムになってしまった。
私の考える「船」は、以前のライナーや戦前の飛行艇・飛行船など、乗客同士あるいは乗客と乗務員の心地よいコミュニケーションのある乗り物である。
これが、私がここで硬式飛行船や飛行艇を取り上げている理由でもある。
海に浮かぶとか潜るとか、空を飛ぶとか大気圏を飛び出すとか、そんなことはその「ナビゲーション」を実現する手段であり技術的な一面だと思う。
最近、クルーズ船でも、この「ソサエティ」が失われている船が増えつつあるようで寂しい思いを感じることがある。
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