2005年06月16日

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(飛行艇の時代:12) シコルスキーS38 水陸両用飛行艇

S38.jpg

ロシア革命でアメリカに亡命したシコルスキーは別項で紹介したようにS40、S42などを開発し、飛行艇の形態を確立させたが、S38はその習作とも言える両用機である。

小型のS36と同様に、主翼と尾翼の連結材を短い艇体の後部から上げた支柱で支える方式で、この方式は後のS40にも踏襲されている。

乗客定員は8名であった。

パン・アメリカンが発注し、11機製作されている。

パンナムのほかでは、カーチス・フライング・サービス、ウェスタン・エア・エクスプレスが運航していた。

このポスターは、ハワイアン・エアラインズが1969年に創業40周年記念で製作したポスターである。

ダイアモンドヘッドの向こうに湧き上がる入道雲をバックに描かれている。

ハワイアン・エアラインズは創業当初、インターアイランド・エアウェイズと言っていたが、ハワイのような諸島には水陸両用の飛行艇が最適であった。

今でこそ、オアフ島のホノルル国際空港のほか、ハワイ島にはヒロ空港とコナ(ケアホレ)空港、マウイ島にカフルイ空港、モロカイ島にはモロカイ空港、羊歯の洞窟で知られるカウアイ島にはリフェ空港があるが当時は水陸両用が重宝されたであろう。

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