2005年05月17日

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(ブレーメンとオイローパ:2)水上機による郵便飛行停止のあと

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客船「ブレーメン」「オイローパ」に水上機を搭載して郵便物を届けていたことは「南十字星」の「蒼空を往くクルーザーの伝説:第2章」で述べた。

両船による洋上からの郵便飛行が継続されていた1932年に、ルフトハンザは「ブレーメン」「オイローパ」の船主北ドイツロイドから貨物船「ウェストファーレン」を傭船した。

同船の後檣を移動させ水上機母船に改造し、「オイローパ」に搭載されていたものをさらに改良したハインケルK6型カタパルトを搭載した。

1933年6月6日、ドルニエ・ワール飛行艇(↑写真参照)による大西洋横断飛行を実施したのである。

アフリカのガンビアを飛び立った「ワール」は、大西洋上に停泊する「ウェストファーレン」の傍らに着水し、燃料の補給を行って、ブラジルのナタールに到達した。

現在日本で岩国などの飛行隊に配備されている新明和(川西の後身)の対潜哨戒飛行艇PS−1、水陸両用の救難飛行艇US−1のように、耐波能力の高い飛行艇ならカタパルトによる発進の必要はない。
おそらく大西洋で一番狭い区間を選んで、最も海象の穏やかな時期に行った試験飛行であろうが、当時の飛行艇は穏やかな海面でも燃料満載状態では自力での離水が懸念されたのであろう。

ちなみに、PS−1は耐波性能とSTOL性が特徴で、最大波高4メートルの海面でも運用出来ると言われており、さらに次期救難飛行艇US−2(現在US−1A改と呼称)も初飛行以来開発最終段階である。

ルフトハンザは、さらに大きい貨客船「スキャーベンランド」を傭船して、これを中継として4発のブローム&フォスHa-139水上機でベルリンからリオデジャネイロまで飛行させている。

1938年に4発の陸上機フォッケウルフFw-200コンドルがベルリンからニューヨークまで無着陸飛行するまで、こうした渡洋飛行が試みられていた。

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