2005年05月16日
(飛行船:2)旅客用ではないけれど・・・
この絵葉書は、ワールド シップ ソサエティ日本代表の府川氏から昨年戴いた貴重なものである。
絵葉書の注釈は次の通りである。
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USS PATOKA AO−9
1919年に竣工し、大西洋・太平洋海域で石油の輸送に従事。
1924年に硬式飛行船の支援船に改装された。
SHENANDOAH(ZR−1:1924−1925)、
LOS ANGELES(ZR−3:1925−1932)、
AKRON(ZRS−4:1932)の支援船として就役。
1933年8月31日に退役。1939年11月10日に飛行艇支援船として再就役(AV−6)。
1940年6月19日に油送船に戻されてAO−9に分類変更。
第二次世界大戦の殆どの期間、カリブ海で燃料などの補給や工作船として従事。
1945年に太平洋海域の掃海母船に改装。
1945年8月15日、占領下日本の掃海業務を支援。
1946年7月1日解役
写真は1931年2月に撮影されたもので、LOS ANGELES を係留している。
合衆国海軍歴史資料センター提供による。
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このロスアンゼルスは、アメリカが第一次世界大戦の賠償の代わりに建造させたものとする資料と、大戦後の1922年にツェッペリン飛行船有限会社の再建のためにツェッペリン伯の後継者フューゴ・エッケナーが建造を決意し、建造中に賠償に指定されたとする説がある。
いずれにしても、第一次大戦後建造された飛行船(LZ−126)は、完成後にアメリカに引き渡されることになっていた。
全長200メートル、直径27.6メートル、ガス容量7万立方メートルの飛行船は1924年8月26日にフリードリッヒスハーフェンで完成し、正式名称ZR−Ⅲと命名された。
アメリカでは海軍が所管することになり、「ロスアンゼルス」号と命名された。
アメリカではそのころヘリウムガスの開発に成功したこともあって、1922年に自国の飛行船に水素ガスを使用することを禁止した。
しかし、ドイツからのヘリウムガス輸出の強い要請は拒否された。
フリードリッヒスハーフェンを出発したZR−Ⅲは、ニューヨーク郊外のレークハーストに到着し、ここで水素ガスに換えてヘリウムガスが充填された。
アメリカでは、危険な水素ガスの替わりに不活性ガスヘリウムを使用したにも関わらず、1925年に「シェナンドア」・1935年にはアメリカ製(グッドイヤー社製)の「アクロン」「メーコン」が相次いで墜落し、飛行船に対する信頼性が急速に低下し、この「ロスアンゼルス」も1939年に解体されてしまった。
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