2005年05月25日
(飛行船:3)グラーフ・ツェッペリンのシュガーポットとサロン
上の写真はLZ−127「グラーフ・ツェッペリン」の船上専用食器の一つ、シュガーポットである。
フィリードリッヒスハーフェンのツェッペリン博物館所蔵という。
前回紹介した米海軍に納入した「ロスアンゼルス」がLZ−126 だから、LZ−127「グラーフ・ツェッペリン」はその次に建造された硬式飛行船である。
全長233m、最大直径30.5m、ガス容量は8万立方mとも10万立方mとも言われている。
いずれにしても「ロスアンゼルス」を上回る大きさである。
推進機関はディーゼル機関とする資料もあるが、ガソリンエンジンと同じものであろう。
LZ−127は、燃料にプロパンのようなガスを使用していたことは間違いのない事実であるからディーゼル機関は原理的に成り立たない。
現在、タクシーは自家用車と同じエンジンで、簡単に燃料費の安いLPG仕様に変更できる。
これと同様にマイバッハのエンジンにLPGを使用したのであろう。
船舶でも航空機でもこのような出典による方式や要目の違いは珍しいことではない。
(本船の全長も、1説によれば233mであり、他説では235mとなっている。
これは、フィート・ポンド法からメートル法に換算したときの誤差ではないかと推測する。
勿論、当時ドイツは既にメートル法を用いていたのであるが、日本で入手できる文献は殆ど英語である。
ドイツ語を英語に翻訳するときに、メートルをフィートに換算して、その文献を日本語に翻訳するときに逆換算で生じた誤差である可能性はある。
ついでながら、「G.ツェッペリン」の主機をディーゼルエンジンとする文献では「ロスアンゼルス」の気嚢容量を、1桁多く間違えて70万立方mとしている。
これは原稿を既述するときに数値の桁のチェックを怠らなかったら防げたミスである。
直径30m、長さ230mの円筒の体積は簡単に求められる。
船体の肥痩係数は1.0より小さいから、飛行船のガス容量がこれより大きくなる筈はない。)
1929年、世界一周の航海に出発したときの乗務員は総指令エッケナー、主席船長レーマン、次席船長フレミング、3席船長兼操縦士フォン・シラー、操縦士ジーグレ、機関士ボイエルレ、グレッチンガー、操舵手はエッケナーの息子のクヌート、操機手15名、電気技師1名、通信士3名、ボーイ長1名、スチュワード1名、それにシェフのマンツの30名であった。
乗客定員はツインキャビン10室の20名である。
写真のシュガーポットには、横浜の日本郵船歴史資料館に展示されている往年の名船の食器のように、Luftschiff Zeppelin を表すLZの紋章が入っている。
下の写真はサロンのテーブルにセットされた食器類である。
1998年にアメリカの Schiffer Publishing から発行された Ocean Liners Collectibles(M. Yellin Outwater 著)には、ノルマンディのファーストクラスで使われたプレート(皿)が400ドルとか、船を模った金属製の香水瓶がオークションで4830ドルで落札されたとか、沢山のコレクションが時価表示されている。
しかしながらグラーフ・ツェッペリンの紋章の入った食器は見当たらなかった。
対象外らしい。
あったとしても値がつかないかも知れない。
グラーフ・ツェッペリンには上述のように2人用のキャビンが10室あり、一般配置図によればサロンも4つのテーブルに20席用意されていたようである。
1929年のワールドクルーズ時のメニューもワインリストも幾種類も残されている。
そのなかには、トーストにのせたキャビアも載っている。
キャビアをトーストにとるスプーンは、白蝶貝から削り出したスプーンが用いられたのであろう。
このような食器類・カトラリー・グラス類を何処に収納していたのだろう?
シェフは食材やこれらをどのように管理していたのだろうと考える。
写真はサロンの船首側、操舵室・航法室や厨房に続く通路から右舷側の2つのテーブルを見たところで、手前右に柱が見える。
このサロンを通り抜けた後ろにはは左右にキャビンが10室あり、その後方は洗面所とWCである。
私も飛行船好きでツェッペリン伯號のオリジナル・メニュや書籍を集めて、以前洋食レストランを營業してゐる時は實際に料理再現をしました。併し、貴殿のやうに全部讀んではをらず、このブログを發見し嬉しく思ひ、過去に遡つて順繰りに讀み始めたところです。
オリヂナル・ツェ伯號のデザート皿やティーカップやブレーメン號の献立表を持ってをります。こちらは東京在住ですので、もしもご上京の折はご連絡下さい。
何時でもお見せすることは可能です。
また、獨逸の切手競賣に時々ツェッペリン関連の品が出ますので、ご参考までに
https://www.felzmann.de/