2005年05月23日

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(ブレーメンとオイローパ:APPENDIX-1)水上機母船Westfalen

Wal-WF.jpg


「ブレーメンとオイローパ」の2回目に、ルフトハンザはドルニエ・WAL飛行艇を使って大西洋横断飛行を実施したことを紹介した。

南米はドイツ移民が多く、郵便を定期的に送ることは悲願であった。

電信は傍受される恐れもあり外交文書などは暗号化したとしても全幅の信頼は置けなかったし、庶民にとっては手の出ない高価な交信手段であった。

1933年にヴェストファーレンを使用した試験飛行が行われ、翌年から定期郵便貨物路線が開設された。

1939年に第二次世界大戦により南米路線から撤退するまで、飛行艇とカタパルト船による郵便飛行は481回行われ、10万通以上の郵便物が運ばれた。

冒頭の写真は、1998年に刊行された大島慎子著「飛翔へのロマン ルフトハンザ」に掲載されたものである。
著者はルフトハンザ ドイツ航空日本地区広報室長である。

写真を縮小したので見えないが母船の船首には印刷物ではかろうじて9文字であることが判る。
「Westfalen」と読めなくもない。
中心線上に固定されたハインケルK6カタパルトの上にドルニエWALがセットされている。

背景に作業船のような船舶がおり、本船も錨を降ろしているので、洋上ではなく港内における射出試験のスナップであろう。

このときの水上機ドルニエDo 8t Walの要目は、全幅23.2m・全長18.2、・客席0席(水上郵便機)・巡航速度225km/時・航続距離2000kmと記載されている。

ルフトハンザでは小型飛行艇ドルニエWalを1931年から35年まで使用していた。


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