2005年05月31日
(飛行船:4) ヒンデンブルク
LZ−126は米国に引き渡されて「ロスアンゼルス」になった。
その次に建造されたLZ−127「グラーフ・ツェッペリン」は世界一周を達成し、大成功を収めたが、いわば試作船であった。
燃料のLPGも当時の日本では入手できないので、25000立方mのガスを事前にタンクで送らなければならなかった。
何より、乗組員30名に対し乗客定員20名では、郵便輸送の収入や報道通信独占権使用料などで補っても採算以前の状態であった。
LZ−127の成功を確認して本格的旅客用飛行船LZ−128が建造されることになっていた。
しかし、この計画は中止された。
米国で開発された不活性ガス・ヘリウムを使うLZ−129が設計され、建造されることになったのである。
アメリカは1925年にヘリウムの外国輸出制限法を制定していた。
ツェッペリン側では、平和利用であるから粘り強い交渉でアメリカから供給が受けられる可能性を期待していたのであろう。
しかし、軍事転用の恐れがあると輸出は認められなかった。
水素ガス飛行船として建造されたLZ−129が「ヒンデンブルク」である。
1935年末に完成した。
このツェッペリン飛行船の第118番目の硬式飛行船の主任設計者はルードウィッヒ・デューアである。
全長243m、直径41m、ガス容量19万6000立方mの巨船で、乗組員や乗客の居住区はゴンドラ部分でなく、主船体内部に設けられた。
操縦室のあるゴンドラの上の船体内に無線室と郵便室を設け、その前方に士官居住区を配置した。
船体中央部に2層のデッキを組み上げ、上をAデッキ、下をBデッキと呼んだ。
Aデッキ中央部に通路で数列に区切って、2段ベッドのツインキャビンを25室、その左舷側にゆったりとしたダイニングルーム、右舷側にラウンジと読書室を配置した。
Aデッキの両側窓際はプロムナードと呼ばれていた。
各キャビンのテーブルにはレースのテーブルクロスに花瓶があり、蛇口には温水・冷水が配管されていた。
キャビンは1936年冬に増設され、70人を収容出来るようになった。
写真で、操縦室ゴンドラのやや後方、主船体に膨らみのように見えるのがプロムナードの窓である。
ラウンジの、読書室との仕切壁近くにグランドピアノが置かれていた。
ツェッペリンの没後経営を引き継いだエッケナーがこのピアノを弾いたこともあったと伝えられている。
このピアノは、もともとヘリウム船として設計され、浮力の大きい水素を充填することになったLZ−129の重量をコンペンセートするために固定バラストとして搭載されたものらしい。
Bデッキには、シャワールーム、トイレット、喫煙室、ギャレー(調理場)、士官と部員に区分けされたクルーズメスルーム、それに船内事務室、保健室、バーがあり、喫煙室はスチュワードが火気の監視していたという。
ギャレーには製氷機も設置され、大西洋横断の航海では、肉200kg、バター100kg、鶏卵800個などが積み込まれた。
ワインリストには独仏の高級ワインがリストされ、郵便輸送とともに大きな副収入になったと言われている。
就航当初はスチュワードのみであったが、後にスチュワデスも乗船したようである。
乗客が希望すれば、船体内に設けられた歩廊を、操縦室から船尾の方向舵まで案内つきで見学できた。
なお、同型のLZ−130(2代目「グラーフ・ツェッペリン」)はヘリウムを充填することになっていたが輸出は認められず水素を充填されて30回程度試験飛行を行なった後、解体されてしまった。
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