2005年04月10日
蒼空を往くクルーザーの伝説
- bremen
- 21:00
部屋の片付けと並行して表記の原稿をまとめ始めた。
第2章のブレーメンとオイローパに搭載された郵便機を受けて、第3章では北大西洋・南大西洋それに太平洋の水上機による航空網開拓の時代を調査分析して見る。
1930年代は航洋客船と飛行艇・飛行船が競合した時代であった。
船舶関係の書籍や雑誌の特集、航空機にかかわる文献などに取り上げられているものが少ないだけでなく、散発的な記述が殆どである。
それぞれの事実の背景や、当時の技術レベル・社会情勢などを念頭に置いてこれらを考察すると実に面白い。
また、思わぬところに思わぬ写真やデータが記載されていることもある。
当面の研究テーマとして取り組む所存である。
今日は、移動の最中の文献・資料の山のなかから失ったと思った資料を再発見した。
良い兆候である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
午前中は薄日が差していたが、昼ころから前線の移動に伴って風が強くなってきた。
午後は、半時間ほど二胡の練習をした。
そのあと、二胡音楽院の春のイベントに出かけた。
市内中心部のゲームセンターでボウリング大会をやり、それに引き続いて隣のホテルの宴会場で懇親会が予定されているのである。
ボウリングは20年ぶりだろうか?
ボウリングの参加者は20名あまり。
スコアは2ゲームとも辛うじて3桁になった。
懇親会は、5テーブル50人足らずであった。
比較的若い人が多く、ボウリング大会の表彰・カラオケ・くじ引きなどで賑わっていた。
しかし、罰ゲームで蚕を食わされのはちょっとどうかと思う。
(幸いにして免れることは出来た)
最後に先生の二胡独奏は素晴らしかった。
普段ものを言ったこともないレッスン仲間と和やかな時間が持てた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ボウリング会場から隣のホテルに移動するとき、本格的な雨だったが帰途に就くときは小降りになっていた。
満開の桜の下で花見をしていた連中は突然の雨で慌てたであろう。
"蒼空を往くクルーザーの伝説"へのコメントはまだありません。