2005年04月08日
今日も有意義な一日であった
- bremen
- 21:40
今朝は5時前に目が覚めた。
このところ、目覚ましより先に眼が覚めてアラームがなる前に止めることがある。
花祭りである。
今朝はあまり寒くない。
書斎の窓をあけると霧が掛かったように乳白色に霞んでいた。
もう一週間経ったのでダンボールの整理ばかりしているわけにはいかない。
ウェブのページ「南十字星」の「QE2乗船記2005」を書き終えたので、並行して作業をしていた「蒼空を往くクルーザーの伝説」の第3章に取りかかった。
実は大陸間や大洋を定期運航した飛行艇と、活躍した期間は短かったが夢とロマンに満ちた飛行船を2大テーマに取り上げる予定であるが、どちらを3章あるいは4章にするか悩んでいるのである。
外洋で稼働する大型飛行艇の開発を続け実務に使用しているのは我が国がトップであるが、昨年11月に日本造船学会秋期講演会で発表された「日本の飛行艇の現状と将来(明石克人:新明和工業)」によれば12人乗り以下の水上機の機体は正式に登録されたものだけで5000機程度であるが、10000機程度存在するという統計もある。
警戒・救難・消防など今後も発展の可能性のある分野である。
飛行船は軍用・民間用として1930年代後半、その将来を嘱望されたが、1937年に「ヒンデンブルク」がニューヨーク郊外レイクハーストで爆発炎上し、その命運を絶たれてしまった。
ペイロードの割に機体が大きく、風のあるときは非常に扱いが困難である。
しばらく前、無線操縦のヘリウム飛行船を扱ってみてこれを実感したことがある。
実験は勿論インドアで行った。
時期は夏場でエアコンが作動していた。
冷房は「弱」で我々には殆ど風は感じられなかった。
ところがきわどいバランスで空中に浮いているのがやっとの模型飛行船はエアコンダクトの前で吹き飛ばされるように操縦不能になったのである。
ところが、日本郵船が飛行船事業に乗り出したのである。
運用に当たっては法規制も含め解決しなければならない課題も多い。
じばらく注視しておく必要がありそうである。
そんなことで、取り敢えず飛行艇を第3章で取り上げることにしたのである。
書籍や資料がダンボールに入ったままの状態でこのような調査は難儀であるが、整理が済むまで何も出来ないでは困るし、このような作業を進めることにより書籍や資料の配置も決まるのではないかと思って整理作業と並行することにした。
16時頃街に出て、用事を済ませレッスンを受けた。
(J、R、W、T)
とても暑かった。
帰りの車中からも春霞が気になった。
水蒸気の霞なのだろうか、黄砂なのだろうか?
ウェブで東神奈川の藤崎という制服屋さんのページを見た。
なかなか面白い。
機会があったら訪ねてみたいと思う。
今日はとても気分が良いひであった。
「自分は幸せ者だ」とつくづく感じたお釈迦様の誕生日であった。
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