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オーロラ乗船記(第5部:上海)



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2001年3月6日

Noon Position: 上海(中国)に繋船中
天候:スモッグ
風:北西の風、風力3
気温:14.3℃ 気圧:1014ヘクトパスカル

昨夜2140に上海コンテナ埠頭に接岸し、終夜中国当局と出入国手続きを折衝していたが、本日0730にやっと上陸許可が出た。

水も濁っているし、空気は季節的なものかスモッグで霞んでいる。
今日は、午前8時45分出発の「上海のハイライト」(所要時間:4時間半)と、午後4時45分発の「夜の上海」(所要時間:5時間45分)の2つのショアエキスカーションに出かけた。
寄港日なのでドレスコードはカジュアルである。

朝、キャビンを抜け出してプロムナードデッキに出てみた。
如何にも揚子江らしい眺めである。

スモッグに霞む河口から赤い太陽が昇っている。

釣り船や、寄港している外航船に食料品や日用品を売りに来るサンパンも動き出している。

数千年も前とあまり変わらない営みが続いているのであろう。

夕べ遅くまで飲んだり踊ったりしていたクルーズ客は、まだキャビンで船内新聞「TODAY」を見ながら今日の行動予定を確認しているのかもしれない。

広いコンテナ埠頭である。

喫水の深い大型船の接岸を可能とするために、河岸から張り出してピアを構築したものであろう。

奇抜なビルを含め、街の再開発も盛んなのでこれらの資材を含め海運取扱量も多いためか、広大な保税エリアが広がっていた。

陸(おか)ではスモッグの中に照明灯が見える。

船上の「Z旗」は、言わずと知れたP&Oのトレードマークである。

接岸後、終夜続いた折衝により、やっと7時半頃乗客の上陸許可が下りたようだ。

ここ上海ではオプショナル・ツァーがTOUR AからKまで11コース設定されていた。

短いものは4時間程度から、長いものは、上海・北京・万里の長城を歩いて4日目に香港に戻るコースもあったようだ。

出発時間は蘇州観光の8時半から、夜の上海観光の午後4時45分まで様々である。

我々は「上海のハイライト」と言う4時間半のバスに乗ることにした。

出発の半時間前に、シアターに集合する。
そこでチケットを貰って、「○○号車に乗る方どうぞ」とそれぞれのバスに乗り込む訳である。

どうやら、このコースは1台のようである。
せっかくここまで来たのだからと、蘇州へ向かった人も、上海雑技を見に行く人も多いようだ。

停泊地から黄浦江沿いに新開発地帯を通り約1時間で上海である。
新しい上海博物館を見て、江南屈指の豫園を見て、外灘地区を見学する。

上海博物館は真新しい建物であった。

青銅器や陶磁器など、多くの文物が陳列してあった。
特に、様々な大きさや形の古い硬貨のコレクションはさすがである。

総じて中は薄暗く、所々にバックライトのパネルやビデオ映像が表示されていた。

現地の観光客も入館していたが、館内は静かであった。

外に出ると、大きな彫刻の神獣が博物館を護っていた。

上海博物館を出たバスが次に停車したところは、大きな土産物店の近くであった。

木造瓦葺きで4層・5層の大きな建造物である。

昔は名園「豫園」の一部を構成していたものであろうか?

どの店の前も縁日みたいに観光客で賑わっていた。

建物の上層部はレストランや飲茶などになっていた様である。

豫園の代表的な建物と橋と池である。

観光絵はがきなどでよく見るアングルである。

何処も彼処も人・人・人である。

上海に来たら、別府に係船されていた「旧オリアナ」を一目見ようと思っていたので、 このショットのあと、豫園を後にして南京路を目指して歩き始めた。

旧市街地を地図を片手に歩いていると、現地の小母さん達が寄ってきた。
地図を指しながら身振りで話しても、ここは地図に載っていないと言う。

そんなはずはないと思いながら諦めて勘を頼りに歩くことにした。

後で考えると、日本の漢字が判らなかったのではないかと思った。
「文革」で難しい字を廃止して、偏や旁だけのような字になっていた。

左の「E3」の旗を持っているのが、我々のガイド氏である。

彼は、車中でガイドをしているときに、いきなり「ハハハ」と笑った。
東洋人共通の愛想笑いかもしれないが、何か奇妙であった。

バスは復路も小一時間掛かって停泊地に戻ってきた。

バスの窓越しにコンテナの山の向こうに「オーロラ」が見える。

前を先導するのは中国のパトロールカーである。

港湾地区に入ったら、いつの間にか先導されていた。

護送車に乗せられているような気分であった。

今度は「夜の上海観光」である。

案内に寄れば「有名な小説『ワイルド・スワン』の舞台となった旧フランス租界の1920年当時のきらびやかさを復元した3階建のビルを訪れ、フランス料理を味わいます。・・・」とある。

いろいろなエピソードはあったがそうであったかなかったかについてもノーコメントとしよう。
それから上海のシンボル的な外灘の和平飯店へ行って、ベテラン達の演奏するジャズで、ビールを飲んでジルバを踊ってきた。

左の絵で、背景に「和平飯店 OLD JAZZ BAND」と読みとれる。

現地の人も結構入っていて、辛うじて踊れる状態であった。

和平飯店の前の南京路に出て、旧租界の夜景を眺めた。

1842年の南京条約によって各国の租界となったこの界隈であるが、ガイドブックには「英国租界からフランス租界へとドライブ」のような記述が残っている。

先日、TVでこれら旧租界で由緒ある建物の連なる地区に大掛かりな花火を仕掛けた男の話が紹介されていた。
仕掛け人は、電線や導火線を張り巡らし長時間かけて準備をしたものの、誤結線がないか、発火タイミングの同期はとれるかと気をもんでいた。

最終的には実際にやってみなければ判らない。その本番が成功して、子供のようにはしゃぐ姿が印象的であった。

このときは、河にも多くのバージを並べて仕掛けていた。対岸の浦東地区から眺めはさぞかしダイナミックであったであろう。

夜の観光を終えて帰るバスからの眺めである。

現地時間で午後10時ころである。
電飾のきれいな明るい小路と暗くてよくわからない小路とのコントラストが強い。

停泊地と市街地を往復する車窓も、整然と明るい開発地区と伝統的な中国の街並みがモザイクのように入り組んでいた。

夜のバスガイドは、英語を学んでいる女子大生であった。
和平飯店のロビーで話を聞くと、日本語を含めた外国語を学んで、外資系企業に就職したい若者が多いそうである。

本船に戻ったのは我々のバスが最後ではなかっただろうか?

2245:全下船乗客の帰船が確認された。

上海の1日が終わった。
明日の朝、解纜して次の寄港地、香港に向かうことになっている。

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