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クィーン エリザベス 2ワールドクルーズ「Voyage of Discovery」(第1部)



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2005年2月22日(火)

今回も2003年に引き続き、「よみうりオーシャンクルーズ」に申し込んでQE2に乗船することにした。

当初の計画では20日に関空からバリ島のグラライ空港(デンパサール)に飛んでホテルに一泊し、21日にブサキ寺院を観光して午後パダンベイに沖どまりしてるQE2にテンダーで乗船し、18時にそこを出港してマニラに向かう予定であった。

ところが、直前になって米国務省の勧告によりバリ島のパダンベイを抜港することになった。

マニラから乗るか、前港のエクスマウス(オーストラリア)から乗るかを打診された。
マニラから乗ると言うと、今度はマニラで宿泊するかしないかと言う。
よみうりの案内では、その場合パグサンハンでカヌーによる川下りをすることになっている。
蒸し暑いところでびしょ濡れになる気はないので乗船日に行くと連絡した。

すると、今度はマニラの港湾混雑の理由で寄港地がスービックに変更になったので前泊しなければならないという。
スービックはその昔某国海軍が東洋一の海軍基地を構えていたところである。
その変更を了承すると、間もなく真っ黒に潰れたスービックの案内らしいものが別便で届いた。
よみうりも直前の変更でよほど慌てていたものと見えた。

改訂後の案内では関空の4階国際線出発ロビーに23日(水)の午前8時に集合となっている。
始発の新幹線では間に合わないので、関空の近くに前泊することにした。

広島発15時00分発新大阪16時34分のレールスターに乗り、難波で南海急行に乗り換えて泉大津に行きホテルサンルート関空に泊まった。

夕食はホテルの5階にある日本料理の「白水」で摂る。

2005年2月23日(水)

5時起床。
6時半カフェテリア形式の朝食。メニューは豊富であった。
チェックアウトを済ませて、7時半のシャトルバスで空港に向かった。所要時間20分。

宅配カウンタからスーツケースを受け取って集合場所に行くと添乗員は角谷さんという。
関空からの同行者は12名と添乗員である。

搭乗口は41番。

シャトルに乗ったら直ぐ降りるところである。

9時20分搭乗予定が9時30分になった。

飛行機は10時00分発のタイ航空621便のB777である。
マニラのニノイアキノ空港には13時10分到着予定。

時差が一時間なので飛行時間は4時間10分である。

マニラに付いた途端暑さでむっとする。
出迎えのバスにはエアコンが付いているが効きそうにもない。
幸い、一番前のエアコンの直前に席が確保できたので駐車しても降りないことにした。

市内観光といってもホテルのチェックインまでの時間つぶしである。
フィリピン建国の英雄リサールの記念碑があるリサール公園とサンチャゴ要塞跡に行ったが我々は車から降りずに待っていた。
車窓から見る光景に国民の貧しさが少し判った気がした。

窓から某国大使館の写真を撮ろうとすると武装した警備員が手を振って制止する場面もあった。

とにかく暑かった。ガイドは「3月から夏です。」と言っていた。

やがて、マカティのシャングリラホテルに到着した。

中国系のホテルで、九龍にもシンガポールにもプーケットにもチェーン店がある。

シンガポールのシャングリラには昨年の秋に宿泊したことがある。

バスからスーツケースを降ろすのを確認してチェックインする。

なかなか広いロビーである。

エアコンが有難い。

部屋は10階の1027号室。
広くて明るくてなかなか良い部屋である。

まもなくポーターがスーツケースを部屋に届けてくれた。
空港でチェックしたときには気がつかなかったがJのスーツケースが破損していた。
飛行機から降ろすときに投げられたのであろう。

部屋には現地の新聞の他、日本の新聞も届けられた。

果物も用意されていたし、ミニバーも充実していた。

さすが中国系だけあってティーポットは冷めないように保温されていた。

夕食も朝食もはロビーレベルの「サークルズ」というカフェテリアで摂ったがここはなかなか充実していた。

我々のためにコーナーが用意されていた。
中華はもちろん、各国の料理が用意されている。

日本食では寿司も刺身も蕎麦もうどんもある。
フルーツやデザートもトロピカルなジュースもある。

お茶も、紅茶・ウーロン茶・日本茶と用意してあり、大きなカップにたっぷり注いでくれる。

左の写真はチョコレートフォンデュである。チョコレートが適温で滝になって流れているのである。


20時にゆっくり風呂に入って就寝。

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2005年2月24日(木)1800スービック(マニラ郊外)出航・ドレスコード:「インフォーマル」
いよいよ乗船の日が来た。
7時にスーツケースを通路に出し、サークルズで朝食を摂る。
8時にバスにスーツケースを積み込んでスービックに向けて出発である。

今日からは成田から来た16名と添乗員の岡野さんとあわせて総勢30名である。

乗船地のスービックはマニラから西北西約130kmの地点で車で3時間半も掛かる。

マニラ市内の渋滞は凄い。
でも、30分ほど過ぎると何とか走れる様になった。

従って途中のパーキングエリアで駐車した。

マニラ湾を囲むバターン半島の付け根を西に行くと南シナ海から入り込んだスービック湾の奥に位置する。

車窓からはアヒルや水牛のいる長閑な田園風景が見えたが、時折見える農家の家屋やそこに住む人達は貧しそうであった。

スービックは、かつて某国海軍の東洋一の基地であった。

空軍のクラークフィールドと共に東南アジアに睨みを利かせていたがフィリピンの政権交代に伴って撤退した。
いまも当時の建物も残っているが現在は大規模リゾート開発に力を入れている。
800室、300室などのホテルも幾つか営業しており、フィリピン料理・中華料理・日本料理・海鮮料理などのレストランも10軒程度あるようである。

ほかにもゴルフ場やマリンスポーツも出来るビーチも整備されている。
スービック湾を隔てた対岸にはキュービ国際空港があり、FEDEXの機体が駐機されていた。

乗船受付の時間までバスでこの辺りを見学した。

昼食はビーチの傍の「金龍大酒楼(Golden Dragon Restaurant)」で日本料理と言うことであった。

夕食からはQE2での食事だから、その前に日本料理を用意してくれたよみうりオーシャンクルーズの気持ちであろう。

だがどう見ても中華料理の店であり、日本料理が出来るのか気になっていた。
各テーブルにはぐらぐら煮えたぎった鍋があり、メニュースタンドには日本語で「しゃぶしゃぶ」とある。

野菜や魚、蟹(途中、蟹の養殖場が多かった)、肉などを次から次へと鍋に入れ、ウェイトレスがつぎ分けてくれる。
でも、これは「しゃぶしゃぶ」でも日本料理でもない。
この店の創作料理なのだろうか?

乗船時間が近づいてきた。

アラパ・ピアに係船しているQE2が見えてきた。

左舷付けだから、キャビンからピアが見える筈である。

この炎天下、フィリピン出国の手続きをして船内に入り、2デッキのミドシップロビーで乗船手続きを済ませ乗船カードを受けとった。

QE2では乗船時に写真を撮って乗船カードをつくるので普通あまり良い写真にはならない。
今回はまあまあであった。

この写真はミドシップロビーで乗船手続きを終えた直後に船のカメラパーソンに撮って貰ったものである。

QE2では航行日はドレスコードが「フォーマル」に指定される。
しかし、寄港日は「インフォーマル」である。

ご婦人方は、スーツケースから出したばかりのドレスをプレスしたり、ビューティサロンに行く時間がなかったり、乗船日や寄港地でショアエクスカーションに出たりする日はそのままでいいように「インフォーマル」なのである。

スーツケースはキャビンに届けられるので、そのまま制服の乗組員に案内されて3デッキへ向かう。

我々のキャビンは3デッキの3180号室である。

部屋に入ると歓迎のスパークリングワインがワインクーラで冷やしてあった。

2003年に乗船したときは今回と同じカロニアクラスで申し込んだのであるが、本船側の都合で同じ3デッキながらプリンセスクラスの部屋があてがわれた。

ディナーはクィーンズグリルが指定され、部屋には果物が用意されていた。

早速シャンパングラスで乾杯した。

キャビンは3デッキの船尾側左舷である。

部屋の丸窓からアラパ・ピアの様子が見える。

喫水の深い大型船を接舷するためちょっと沖にピアをつくったもののようである。
真正面に港湾当局の建物が見える。

順調に部屋に入れて一安心である。

アッパーデッキの船尾に出てみた。

本船の船尾にはレッドエンサインが、港湾庁舎の前には大きなフィリピン国旗が風にたなびいている。

現地時間17時50分頃である。
この日の日没が18時3分、本船の出港が18時である。この後沢山の人が出港風景を見るためにデッキに上がってきた。

センターラインのパラソルの下のテーブルでは随分前から飲んでいたらしく出港の頃にはもうかなり出来上がっていた。

出港直後のサンデッキである。

日が落ちると辺りは直ぐに薄暗くなった。この日は満月で大きな月が船尾方向に昇ってきた。

サンデッキの下、灯りのついている区画はこの船のショップである。

この船にはボートデッキの後部と1デッキ前方中央部に売店がある。

1デッキの方が日用品などが多く、ボートデッキはTシャツやピンバッチなど土産物が多い。
このほかに、ハロッズや貴金属店などが出店しているロイヤルプロムナードもあり、ブックショップにも本のほか絵葉書などが揃えてある。

今回の我々のダイニングはカロニアレストランである。

位置はクィーターデッキのミドシップ・ややおもてよりである。
この船にはエレベータが8群15基くらいあるが、通過するデッキも途中までしかないものもある。

カロニアレストランにはD又はE群のエレベータを利用するのが良い。

QE2ではキャビンカテゴリーによってダイニング時のレストランが決まっている。

クィーンズグリル・ブリタニアグリル・プリンセスグリル・カロニアレストラン・モレタニアレストランの5つである。

このうち、モレタニアレストランはディナーの時間帯が2回制であるが、そのほかのレストランはサービス時間帯なら何時行ってもよい。

ブリタニアグリルとプリンセスグリルは片方休んでいるときもある。

このほか、クォーターデッキ船尾にあるザ・リドというビュッフェも利用することが出来る。

朝などリドが満席の場合は一層下のザ・パビリオンでも軽食は採れる。

乗船最初のこの日はキャビンに用意されたカードに指定されたテーブルに案内される。

我々の551番テーブルにはシングルの日本人紳士が先に食事を採っていた。

あとで、あのテーブルで良いですかと聞かれたので、好きなときに行きたいからと言うと翌日からは我々のテーブルを用意してくれた。